TVB周刊 98号 【單人訪】  


tvb10 僕が話さなければならないこと・・・

   梁漢文はデビュー以来順調に地位を築いてきたと言えるだろう。許志安が華星を去った後は、華星の「一哥」の地位まで登りつめた。 月日は流れても、依然として彼は洒落た衣裳を身にまといステージの上で歌い続けてきた・・・昨年まではずっと。 そして現在、後輩の陳奕迅が急激に頭角を表わし、一哥の地位に陰りが。「98年のCD売上は、徹底的に負けでいいと思っていました。」 問題は、自分自身がいかに頑張るか。彼がどれくらい頑張ったか・・・呉國敬と一緒に曲を作ったり、許志安と一緒に日本に遊びにいったり・・・。 しかし、少なくとも自分の仕事に人の手を借りることはなかった。彼自身が話さなくてはならないこと・・・彼はもうあのころの「梁炳」ではない。


tvb03 【谷底戦】
●98年の自分の成績をどう思いますか?

   98年はデビュー以来最低の1年でした。仕事にまったく精彩がなかったばかりか、自分自身の気持ちもかなり混乱して。自分に自信が持てず、 ステージで歌っている時でさえ自信なくて、誰かに自分が話してることが間違っているのではないかと不安になったり。 こんなことはデビュー以来はじめてのことでした。だから、コンピレアルバムをリリースした後のあの3ヶ月間は、少し休んで、静かに考える時間を持ち、 いろいろ勉強しようと思ったんです。それから仕事を再開した方がいい、そうしないとますます混乱すると。
   きっと「下り坂」というような話が出ると思っていました。心の準備はできていたんです。もしそんな話が出ても、僕は以前と同じところにいて、 昔と同じ梁漢文なんだ、人気があってもなくても変わりないと。
   最近の歌のファンはとても要求が高くなっています。彼らの要求が高まることが音楽業界の進歩に繋がるんだと思います。 たとえ怠け者の決して自分から変わろうとしないタイプの歌手であっても、強制的に進歩せざるを得ないんです。



【友共情】
●その低迷期はどう過ごしていましたか?

   その期間は、友達がとても重要な役割を果たしてくれました。彼等はずっと僕のことを気にかけてくれて、励まし続けてくれました。 2年前僕が『好朋友』で賞を取った後、蘇永康、許志安と張衛健の仲間で海に出て飲んだことがあって、その時はじめてみんな腹を割って話したんです。 よく憶えているのは、康仔が僕に「いいよなー、おまえ25歳でそんな賞をもらって、オレなんか・・・」当時は彼、あまり調子よくない時期で、 きっと賞取れるよと慰めたりして。僕らはずっとそんなふうに互いに慰めたり励ましたりしあってきたんです。他にも以前、阿敬がちょうど第一線からはずれ、まだ大ヒット曲もなくて、 形容し難いくらい落ち込んでいた時も、僕らは入れかわりたちかわり彼をサポートしました。その後彼も順調になってきて、どのみち彼はそうなるだろうと思ってましたけどね。


tvb08 ●昨年の康仔の大ブレイクを見て、心中穏やかではないのでは?

   去年の彼はほんとにすごいブレイクで、僕もとてもうれしかった。他の人はどうか知らないけど、僕は心の底から喜んでます。 最近も彼は僕を気遣ってくれて・・・
   僕らの友情はちょっと他にはない、すごく貴重なものなんです。こんな友情を築くのは本当に難しいと思います、特に芸能界では。


●その仲間達と一緒に何かやる予定はないんですか?

   あります!でもかなり幼稚なことで・・・お金を出しあって家や株券を買おうかという計画です。いつも何人かで一緒に食事して話してるんですが、 あの家は高いとか安いとか、一緒に家を買って5人で住もうとか、ああでもないこうでもないと延々とね。そしていよいよ決定という時、 残念ながらあと数日でDickyが映画の撮影で大陸に行かなくてはならなくて、また各自自分のアルバムを出すので忙しくなって、結局実現しなかったんですが。 幸運だったのは、2週間後その株が急に値下がりしたことです。買ってなくてよかったと。


●友達と一緒にいる時間はどのくらい?

   すごく少ないです。でも心の繋がりが強いから。普通はみんな仕事が終わったら自分の家に帰りますけど、できるだけ時間を作って安仔の家とか僕の家に集まります。 過去の3ヶ月、僕はほとんど新しいことをやろうとしなかったんですが、唯一作曲をはじめたんですね。それを阿敬(呉國敬)がとてもサポートしてくれました。作曲についてのサジェスチョンはもちろん、Midi8Tracksを買ったりセッティングしたりするのを手伝ってくれて。何か困ったり問題が起きた時は、 電話一本で飛んで来て、助けてくれるんです。こんな友達はほんとに得難い、阿敬は最高の親友です。
   僕は今後のアルバムには必ず自作の曲を入れたいと思っています。実際今度のアルバムには自作の曲も阿敬との合作の曲もあります。次のアルバムには3曲自作の曲を、 その次はさらにたくさん、そしていつか全曲自作のものにしたいんです。
   製作の裏方の仕事に対しては、以前はあまり参加したいと思ってなかったんです。よくわかってなかったし、自分の性格が「無所謂(どうでもいい)」なもので、任せた方がいいと。 でも今は「戦って勝ち取る」ことを学びました。多くのものは自分の口を開いてはじめて得るものだということを。例えば僕がある歌に和音を加えたいと思った時、口に出して言わなければ永遠にそれが加わることがないということです。 うまく行ったらより満足感が得られるでしょう。だからなるべく参加しようと。ゆっくりと少しずつですけど。



tvb09 【蒲返屋企】
●以前は夜遊び好きだという記事がよく出てましたが、最近は?

   ほとんどのゴシップ記事はいいかげんな中傷だと思っていますが、もう過去のことですから。みんなには僕が変わったということを見て欲しいと思います。そういう時期は人生のひとつの段階であって、 大部分の人が通ってくる時代だと思ってます。
   基本的に僕は小さいころからとても寂しがり屋で、仕事から帰って四方の壁に囲まれてひとりでいると、無性に不安になってしまい、あちこち友達のいそうなバーに出かけて飲んだり、ディスコで踊ったりしてました。 そんな生活が2・3年続いたかな。別に問題だとは思ってなかったですから。
   新聞を賑わせていたのはほんの一時のことでしたが、その後も寂しくてどうしようもない時はまた出かけてました。一種の習慣みたいなもので。今現在の梁漢文が当時の梁漢文に言うとしたら「そんなところに行く必要はない」かな。 あの頃の愚かな自分は取り合わなかったでしょうね。当時会社からたしなめられても、同様に聞かなかったから。夜遊びは2年前にやめました。大人になりましたからね。ひとりの時間を楽しむことができるようになり、 「悪い習慣」はなくなって、あまり出かけなくなりました。多くの時間を自宅で過ごし、テレビを見たりパソコンをやったり音楽を聴いたり・・・ディスコ?もう2・3年行ってません。



【心照】
●昨年の不調でお母さんは心配していませんか?

   家族は僕のことは心配していません。彼らは、僕には実力があって自分への対処の仕方を知っていると、思っていますから。 小さい頃から今までずっと変わりなく母はとても僕を信頼してくれてます。僕は長男ですから、3兄弟の中で自分をどうどうコントロールすればいいか一番わかっているつもりです。 新聞記事などを見て、母は「人在江湖」という道理が十分わかっていながらも、ある時「最近新聞や雑誌でぜんぜん見かけないけど」と言ったことがあります。 「僕には少し休みが必要なんだよ」と答えました。簡単なことです。彼女に理解してもらうのに多くの言葉は必要ありません。

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